設楽稚世先生

Dr. SHITARA

先輩からのメッセージ 
設楽稚世先生

コントラコスタ郡総合病院 歯科部長[カリフォルニア州コントラコスタ郡]
日歯大卒。国立大学歯学部に専攻生、研究員として在籍後、開業医に勤務。その後渡米し、カリフォルニア大学サンフランシスコ歯学部(UCSF)、パシフィック大学歯学部(UOP)での勤務を経て、2002年カリフォルニア州歯科免許取得。現在、個人歯科医院の他、カリフォルニア州コントラコスタ郡総合病院の歯科部長を務めマネジメントの役割も担う。

日本人らしい柔軟性と積極性を大切に!

日本歯科大入学

  • ライセンスを必要とする職業を身につけることだけを考えて、大学選びを始めたのが中学生の頃でした。
    私は歯科大の多くの同級生と異なって医療関係の出身ではなかったので、勝手な発想から歯科医療とは、自分自身で発見することから始まり(診査診断)、そこから計画を起こして(治療計画)、自分の技(治療技術)をもって自分なりに展開を起こしていくことが、どこか芸術にも似たところがあると思い、歯学部受験を思い立ちました。合格校から日本歯科大学を選んだ理由は、父の「一番歴史の深い大学を選ぶのがよい。なぜなら、そのことが卒業後に必ず身を助けてくれることがあるだろう」という言葉が漠然ながら理にかなっているな、と思わせてくれたからです。
    卒業後は、国立大学歯学部に専攻生、研究員として数年残りましたが、私学には自由な発想を奨励し、型にはまらないアイデアをサポートする気風があると日本歯科大学を改めて思うことがたびたびありました。

なぜ、アメリカへ?

たとえ厳しくとも新しい機会や出会いで少しは成長できるかと、歯科医のキャリアもゼロから始めてみようと思い、卒業後はボストン大学とマサチューセッツ大学の大学院入学をめざしました。
入学許可されたものの、先立つ資金作りのために開業医に数年勤務していましたが、結婚、出産を経てその気概も薄れていたところ、子供たちの学校教育はやはりアメリカでということから、再び挑戦。カリフォルニア大学サンフランシスコ校歯学部、パシフィック大学歯学部でインストラクターとして勤務する傍ら、2002年にカリフォルニア州歯科免許を取得しました。

現在まで

アメリカンドリームという言葉には甘い夢のような響きがありますが、実はこの言葉は成功者のみに与えられる表彰です。
つまり、脱落者が星の数ほどいるというこの社会の厳しい現実を反映しています。異文化の中で生活を底からすくわれてしまうことは、情けなく絶望的、侮蔑になやみ、ときに憤りを感じること数知れず。言葉が不自由なことは、人間にもたらされた最高の能力を封じられるわけですから、毎日が格闘だったといっても過言ではありません。克服は一生かかってもできないでしょうが、それでも乗り切れる自信がついたのは、意思の疎通は滑らかな会話だけで成り立つわけではない、他にも方法があると気がついた時からです。

現在の仕事

サンフランシスコ郊外のマルチネス市内の個人歯科医院の他に、カリフォルニア州コントラコスタ郡総合病院の歯科部長を務めております。総合病院には4つの一般歯科室、2つの拘置所歯科室、高校内歯科室があり、口腔外科医2名を加えた総勢21名の歯科医が勤務しています。私自身は、クリニックでの一般歯科治療に加えて本院の医師と連携しながら外来と入院患者の歯科治療をしています。また、新生児の舌小帯切除クリニックと医学研修医の指導、障害者歯科の外来クリニックと手術室歯科治療等を担当しています。歯科医業務のほかに歯科部長としてマネジメントという役割がありますが、個人主義のアメリカではこれもなかなかやりがいのある仕事であります。

“my 2 cent”

“僭越ながら私からの一言”という意味です。
気配りのできる文化、恥を知る日本人の文化は世界中のどこでも高く評価されます。個人主義の文化の中でもトップに立つ人たちは、日本人でなくとも我々に通ずるところがあります。厳しい環境でも、日本人らしく柔軟に、かつ積極的に向っていくと、必ず評価される日が来ると信じてください。

  • コントラコスタ郡総合病院での診療風景
  • カリフォルニア州コントラコスタ郡総合病院