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真理がわれらを自由にする

 

  歯科矯正学教授  新井一仁

 この言葉は、時々行く国立国会図書館の貸し出しカウンターの上に、日本語とギリシア語で刻まれているものです。リベラル・アーツと表現しても良いのかもしれません。時の権力者によって情報が制限され、図書館の利用が貴族など特権階級に限られていたり、有料だったりした時代もあるそうで、情報へのアクセスこそが、思想的な自由の基本となるという立場を表現したものではないかと思っています。

 

 日本歯科大学図書館も、学生にも教職員に対しても、そして卒業生に対しても、無料で公開され、基本的に自由に閲覧することができます。このことは、歯科医療を提供する者、そしてそれを学ぼうとする者に、貧富の差や社会的立場の違いの分け隔てなく、平等に情報を得る機会を与えてくれています。人類の歴史の中で、かなり長い間、医学情報は一部の特権階級に制限されてきているようですので、ひとつの奇跡のようなことにも思える時があります。

 

 今も昔も、本学の図書館の地下にある書庫には、特別に設計された空調に守られて、多くの本や雑誌が整然と並んでいます。いつか誰かがひも解くのか、あるいは永遠に開かれることがないページもあるのか。現在の蔵書数は、13万冊だそうです。気が遠くなります。おそらく一生かかっても読み切れない。それどころか、むしろ読む本の数よりも増える本のほうが多いかもしれません。年々、真理が遠ざかっていく、そんな錯覚に陥ります。

 

 ひとつの例ですが、19世紀のアメリカを代表する歯科医学の雑誌Dental Cosmosは、1860年の第1巻からそろっています。

デンタルコスモス 1860年〜

 その中から、ふと1冊を手に取れば、昔の情報に直接触れることができます。たとえ専門用語や英語が全く分からなくても、古い写真をよく見れば、そんなの当たり前かもしれませんが、現代の患者さんと変わらない解剖学的な構造や疾患の症状だったことがわかります。当時の歯科医や学生は、その本や雑誌を最新情報として読んだのです。読者は、いったいどんな気持ちだったのでしょうか。古い時代であるほど、本や雑誌の数は極めて限られていますので、おそらく世界中の歯科医が同じ情報を共有していたものと推察されます。1つ論文の与える影響、そのインパクトは多大なものがあったはずです。

 

 当時の読者の気持ちを想像するためには、それ以前の情報として、どんなことが知られていたのかを理解する必要があります。たとえば、エックス線が発見される前、歯科用の麻酔が市販される前、アルジネート印象材が出回る前、歯科医師たちは、患者さんは、いったいどうしていたんでしょう?そうして、今の知識や技術の成り立ちを理解し、現状から自由になるためには、まずなるべく昔のことを知り、そのあとに新しいことが必要とされた背景と合理性を理解するように、情報を積み上げる必要があります。

 

 それじゃあ一番古い本は?という興味が出てくるのが自然な流れです。あまり知られていないので多くの皆さんにはちょっと意外に思われるかも知れませんが、幸運にも日本歯科大学図書館は、そんな疑問に答えてくれる、日本で一番、いえおそらく世界でトップクラスの歯科医学情報の殿堂なのです。

 

地下2階 稀覯本の書架

 100周年記念館の地下2階。その一番奥のグレーの書棚の中には、いわゆる稀覯本と言っても良い本がぎっしりと並べられています。かなり保存状態が良い本がある一方で、開くのをためらわれるような状態の本もあります。私の専門分野である歯科矯正学について言えば、貴重とされる有名な本は、だいたいそろうような品揃えとなっています。しかしそのコレクションがいったいどれほど貴重なものなのか。果たして客観的に見てどの程度の価値があるものなのか、なかなか計り知れない面があり、ずっと疑問に思っていました。

 

 2011年の夏に、前ハーバード大学の歯科矯正学講座・臨床教授で、アメリカ歯科医学史学会の理事を務められているSheldon Peck先生が、来校されたことがありました。Peck先生は、医学古書の収集家と知られており、ご自宅の2階で歯科医学の歴史研究家であったWeinbergerの蔵書コレクションを拝見したことがあります。また最近、母校のノースカロライナ大学に蔵書の一部を寄贈され、"Sheldon Peck Collection on the History of Orthodontics and Dental Medicine"というセクションが設けられたほど、世界的に有名な古書マニアです。

http://hsl.lib.unc.edu/specialcollections/peckcollection

 

 当日、この書棚にご案内したところ、『歯科医学に関する世界最高のコレクションである。』という感想を述べられました。学会での特別講演のために来日されましたので、お忙しい日程の中での訪問となりましたが、本学図書館をたいそう気に入っていただき、「ここにしばらく滞在して、じっくり紐解きたい!」とおっしゃっていました。

 

2011年7月 著名な歯科医学古書収集家であるSheldon Peck先生が本学図書館を訪問された。

 

 そういえば、ハーバード大学にある90を超える図書館のうち、医学図書館であるFrancis A. Countway Library of Medicineは、確かに大きく立派な建物ではありますが、歯科に関する本は、ときにどこか物足りなく感じたものです。

 

 本学図書館を訪れるたびに、医学情報が一部の限られた者にだけ、秘伝のように伝承される時代ではなく、誰に対しても平等に勉強する機会が与えられている時代に生きる幸福を感じます。そして日本歯科大学図書館を生み出し、関東大震災や戦火をくぐり抜け、ここまで育ててきた本学の伝統に感謝の気持ちがわいてきます。我々もこの世界に誇るべき図書館を有効に活用しつつ、大切に後輩へと引き継いでまいりたいと願ってます。

(2013.7.2up)

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