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思い出のSan Diego

 

  生命歯学部図書館長・解剖学第一講座教授  佐藤 巌

  今回のアメリカ国際解剖学会(平成24年4月22日‐26日)はSan Diegoの湾に隣接するコンベンションセンターで行いました写真1、24年前にはこのセンターがなく、大きな学会は開けませんでした。1163ものセッションで構成される大規模な学会でアメリカ生理学会、分子生物学会、臨床病理学会、栄養学学会、薬理学会の合同開催であり、このため演題発表を通して研究者と交流を行いました。演題のない時間帯には1989年に留学したSan Diego State Universityの生命科学部の研究室や実験動物の採取に通ったサンディエゴ動物園のReproduction Endocrinology 研究室を久しぶりに訪問しました写真3。かつての研究室とは大きく様変わりし、研究者の多くが

退職し、アメリカの浦島太郎の感がありましたが、思い出の研究室やキャンパスをみて当時のことがしのばれました。San Diegoはカルフォルニア州で最南端にあり、メキシコの国境に隣接し、一年間過ごしやすく(降雨量が少なく、半ズボンとTシャツで1年間過ごせる)写真4、多くのアメリカ人が退職後に住みたい人気の都市です(現在全米上位のマンモス都市になりましたが)。しかし、私が住んでいたころは治安が悪く、カージャックやギャングの闘争が多く、ダウンタウンで発砲事件がよくありました。また、日本のバブルの最中で、日本人に対する風当たりも強く、町の中では移民(?)で通しました(笑)。今は夜中にダウンタウンを歩いても安全なくらい治安が良くなりました。もっとも驚いたのは電車による交通網の発達です。20年前は車なしではどこにも行けないところで、郊外までのバスから降りたところが砂漠の真ん中というところも多かったからです。今はかなり遠くまで電車の路線が走り、大学構内に電車が乗り入れるようになっていました。当時は留学して最初の仕事は車を買い、免許証を取ることから始まり、次に、住まい探し、そして大学訪問でした写真5。しかし、研究室の先生方はとても親切で、よく面倒を見て頂き、家族も連れて行きましたので、多くのパーティーに招待して頂きました。特にお世話になったのは大学と研究所の2名の恩師でありますが、その他にも日系3世や4世の日本にゆかりの先生や友人方です。日本語は話せませんでしたがとてもよくしていただきました。その方々の多くには今回お会いできませんでしたが、休みの日には家族と出かけた思い出のアンザボレゴ自然公園(写真6)やお世話になった恩師の先生にお会いするためにレンタカーを借りて訪問しました。最近は留学する若者が少なくなったと言われて久しいのですが、日本歯科大学の若い先生方もまずは海外の学会に出かけ、新しい知識の吸収だけでなく、人脈をつくって今後のステップアップにつなげて頂きたいと思います。もちろん今日の私があるのは学長先生をはじめとして、講座の恩師、諸先生方のご理解とご支援のお陰であることは言うまでもありません。

(平成24年9月19日記)

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