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建学の精神

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日本歯科大学創立110周年

日本歯科大学創立110周年
創立者中原市五郎先生 生誕150年

 30年ほど前、本学はパリ第7大学歯学部と姉妹校を提携した。同歯学部は、フランスで最古の歯科医学校である。調印後、親しい教授夫妻が、私たちをノートルダム寺院に程近い、パリで最古の総合病院に案内してくれた。
 テラスから同病院の広い中庭を眺めると、芝生に立つ髙い銅像が、頭部から足元の台座まで真赤に染っていた。思わずギョッとすると、労働組合員たちが、病院の創立者の像に赤ペンキを浴びせたという。他人事ながら私は、憤りを抑えきれなかった。
 さて、日本歯科大学は、今年で創立110周年を迎えた。慶応3年生まれの創立者中原市五郎先生生誕150年に当たる。 
較べると、国立大学には、福沢諭吉、大隈重信、吉岡弥生、中原市五郎はいない。国立には、いわゆる創立者は不在なのである。本学の創立者中原市五郎は、建学の起原であり、悠久のシンボルである。もし創立者がいなかったら、今、私たちはここには存在していない。
創立110周年
2016年6月1日
学校法人日本歯科大学理事長
日本歯科大学学長 中原 泉

日本歯科大学は今

歯科界の源流である

本館と100周年記念館

本館と100周年記念館

日本歯科大学は、中原市五郎によって、明治40年(1907)6月、公立私立歯科医学校指定規則に基づくわが国最初の歯科医学校として東京都千代田区に創立されました。ここ東京都千代田区(元、東京都麹町区)は、わが国歯科界の発祥の地となりました。当時、歯科医療は黎明期にあり、「学・技両全にして人格高尚なる歯科医師の養成」を建学の目的としました。そして歯・顎・口腔の医学を教導し、学・術・道を兼ね備えた歯科医師を輩出し、歯科医学の進展、歯科医療の向上、患者国民の福祉に尽力しました。
私学として創立者の「自主独立」という建学の精神を継承し、平成23年(2011)に創立105周年を迎えました。この105年におよぶ歴史と伝統は、本学がわが国の“歯科界の源流”といわれる由縁であります。

世界最大の歯科大学である

日本歯科大学は、現在、歯科医学の総合的大学として、2つの歯学部を有する唯一の歯科大学です。東京と新潟の両キャンパスを合わせて、2つの大学院研究所、2つの歯学部、3つの附属病院、2つの短期大学、および博物館を擁し、学生総数約2,000名、専任教職員数約1,000名、および卒業生総数約20,000名を数えます。
本学は、紛れもなく世界最大規模の歯科大学であります。

「生命歯学部」のフロントランナーである

日本歯科大学は、平成18年(2006)に学部等の名称を『生命歯学部』に変更しました。これは、歯科医学は生命体を学ぶ学問であり、歯科医療は生命体への医行為であることから、生命科学のレベルに相応しいネーミングとして、生命という2字を冠したのです。これによって、歯科学生と歯科医師の意識を改革し、患者国民の歯科に対するイメージを一新することを期しています。
フロントランナーとして投じたこの一石が、歯科界はじめ患者国民の意識革命を促すものと信じています。

建学の精神

近年、大学は7年毎に認証評価をうけて、その結果を公表することを義務づけられた。その評価の核となるのが、建学の精神である。そのため、それまで影の薄かった建学の精神が、にわかに脚光を浴びることとなった。
明治39年(1906)に歯科医師法(旧制)が制定され、あわせて公立私立歯科医学校指定規則が出された。その年、東京市には、検定試験をうけて正規の資格を得た歯科医師は、僅か187名しかいなかった。開業医として盛名を馳せていた中原市五郎先生は、公立(国立)の歯科医学校を設置するよう再三、国に働きかけた。しかし、歯科は富国強兵に関わりなしと、一顧だにされなかった。国は、歯科医療を軽視したのである。折角、指定規則ができても、それに基づく歯科医学校は1校も生まれない。歯科志望者は従前と変わらず、開業医の徒弟としてまた私塾において、細々と勉学をする他なかった。この状況を憂い憤った中原先生は、私財を投じて、翌40年6月、麹町区大手町1丁目1番地に私立共立歯科医学校を開校した。

同校の設立趣意書には、「我等同志の者相図り、昼間開業医の助手をして余暇なき者を集め、これに歯科医学を授け、一には教育機関の不備を補い、一には師たる開業医の責任を軽減せしめんと欲す。是今回歯科医学校の設立を企図したる所以なり。…一は学技両全の歯科医を社会に紹介し、一は以て歯科医の人格を高尚ならしめんことを」と説いた。ここに謳った「学・技両全にして人格高尚なる歯科医師の養成」が、学校の目的であった。

当時、私立歯科医学校の経営は困難を窮めた。開校から4ヵ月後の10月には、校舎を神田区雉子町34番地に移転した。さらに中原先生は、麹町区富士見町6丁目2番地(現在地)の旧法政大学分校を個人で買収し、42年6月に同地に移転させ、校名を日本歯科医学校に改称した。当初は2年制であったので、同年7月に昼間部36名、夜間部27名、特別卒業5名の計68名の卒業生を社会に送りだした。まさに、当時の歯科界にとって干天の慈雨であった。

その後、大正8年(1919)財団法人日本歯科医学専門学校に組織変更するに際し、中原先生は学校に貸与していた私有地と、新たに買収した隣地の計1,030坪を財団に寄付した。さらに、昭和7年(1932)附属医院の新築に際し、中原先生は、将来を見越して買収してきた隣接地370坪を財団に寄付した。現本館キャンパスは1,963坪あるが、その約4分の3(1,400坪)は創立者の無私の寄付によるものである。

このように創立者は、独力で学校を興し、誰の力も借りず他を頼らず、私学としての自主独立を堅守した。ことさら自賛することはなかったが、彼は生涯、筋金入りの私学人の姿勢を貫いた。
その精神は脈々と受け継がれ、自助努力という信念と勇気により、本学は、自らの判断と責任において大学運営の舵取りを続けてきた。この100年間、一貫して継承された自主独立こそ、日本歯科大学の建学の精神なのである。
創立100周年
2006年6月1日
日本歯科大学理事長・学長 中原 泉